由なし事

コヘレトの言葉に触れる

コヘレトの言葉

Eテレの番組で旧約聖書のコヘレトの言葉が伝えるメッセージが採り上げられており、それらが多くの人々の共感と支持を得ていることを知って、現下のコロナ禍を生きる日本人の、安易な刹那主義に流れることのない思操の底堅さが、まことに心強く映った。『困難は分割せよ』と謂うが、思えば永き歳月も「束の間」の堆積に他ならず、その「束の間」も無数の 「今 この時」から成っている。畢竟「今この時」のクオリティを上げることが「束の間」ひいては時代を耀かせることに繋がる。
じつは・・番組では言及されていないけれども「今この時」を生きるのに有用なマントラがあるのでご紹介しておこう。それは苦しみを抱えていると思うとき、<わたし>は“私”である必要はあるだろうか?・・と、自らに問うてみることである。すると・・“それまでの習慣・信条・嗜癖などの集合体であるところの私”を照らし出す<わたし>が立ち現れる。そこで、たとえ「今この時」だけでも構わないから“私”が無くとも何ら問題なく生きていられる<わたし>と一体化してみたうえで、さて<わたし>に苦しみはあるだろうか?・・と、重ねて自らに訊いてみる。なかには途端に一切を悟って声を上げて笑い出す(若しくは逆に泣き出す)人々も居られるのではないか?・・徐々に慣れてゆけば、“私”ではなく<わたし>として「束の間」を生きることを深いところから愉しむようになる。同時に、“私”という愛すべきアバターは、この祝福すべき新生の時を迎えるために忍耐とともに存在してくれていたことにも気付く。
コロナ禍という災いも転じて福と成し得る、これもコヘレトの言葉から汲み取れるヒントかもしれない。
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