
「世の中に不思議なし」が真実であれば「世の中すべて不思議」もまた真実である。"在ること"そのものの底知れぬ不思議に慣れてしまうのは人間の性とはいえ、日常茶飯における健全な問題意識までは劣化させたくないものだ(世の停滞を長引かせることなく恒常的なイノベーションを促すという実際的意味合いでも)。
この世界は或る種のシミュレーション若しくはゲームとしての一面をもつゆえに、そのルールおよび初期設定は予め厳重に覆い隠され変更・上書き不可にされている。既存の物理法則が適用できず先々の予測不能な事象群はカオス(それでも理知の及ぶ可能性のあるもの)として仕分されてきた。哲学思想においても絶対矛盾的自己同一といったような生命観は理性の把みきれるところではなく、詩人や覚者と呼ばれる人々の直観のみが辛うじて朧気にそれを捉えてきた。たとえば円周上の始点終点が同一であることは理解できても、ゼロと無限大とが近似するとかビッグバンとビッグクランチが同時発生するといった事柄は理外の理であろう。仮にも理内の理となって創造主が新創造主を誕生させるや否や一切は瞬時に解体され再構築に遷るのかもしれない・・プレーヤー側にはゲームオーバーまで数百億年を要したと感じられようが。
さて、本書『入り組んだ宇宙』は『イエスとエッセネ派』の著者ドロレス・キャノンによる大作であり、上記とは異なる意味で「世の中に不思議なし」を謳わんとするかに見える。が、読み進める程に「世の中すべて不思議」の感も亢進するという、それこそ不思議な書物。大著であるが、ひとたび読み始めると中断しがたく大いに楽しませてもらった。なかでも印象的だったのは、宇宙全体を神の織り成す壮大なタペストリーに譬えた、或る退行催眠被術者の詩的な描写である。以下、引用しておこう。
「とても複雑に入り組んでいます。わたしたちには想像できないほど複雑なのです。なぜなら、すべての生涯、すべての存在、すべての思考、すべての行動、すべての人の過去や未来が、繊維の一本一本に表されているからです。そしてわたしたちもまた、そうした繊維なのです。」
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