由なし事

あるがままに

あるがままに ラマナ・マハルシの教え
『I AM THAT 私は在る』の読了後、「あるがままの」流れで手にすることに。

マインドの中であっても「在る」状態へひたすら留まることを説くマハラジ。
「私は誰か?」を問うことを基軸に、自然な流れで明け渡しの境地へと誘うマハルシ。
マハルシはより対機説法的であり、質問者の理解・心境に応じて巧みな方便を用いる。
マハラジの教えは直線的、マハルシは曲線的と言えるかもしれない。が、無限大の円の一部を拡大して見れば直線へ、恒星大の円も無限遠点から望めば点へ漸近するから、窮極的に円環たる一者へ、その内奥へ融け入らんとする道程そのものは両者で軌を一にしている・・こうしたことは思考の戯れ以上のものではなく直ちに捨て置いて良いが。

兎も角、一年を費やしてマハラジの説諭に触れた後では、何か書物を繙いているというよりも、筏にでも乗って雄大な川下りでも愉しむ自画像を、近づきつ遠のきつ宙空から眺める心境であった。
活字(筏の周囲に展開する風景)を眼で追う"己れ"に明晰に気付いている<それ=真我>が在り、同時に<それ=真我>自身でもある・・"己れ"の投影する時間・空間という幻想が有ろうと無かろうと。
この静かな気付きに発する妙なる喜悦と平安には喩えるものがない。

マハルシの映像を偶々見つけたのでメモ代わりに貼ることにする。
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